これは余りに有名な曲なので星の数ほどの録音がある。その中で何か光るものがある録音かといえば、まぁ、ロマンティックな出来映えに分類される普通の出来の録音と言えるだろう。
しかし、上原彩子独特の甘美で躍動的な解釈が随所に見られるので、昨今の一般的な女流とは明らかな違いはあるものの、残念ながらライブ演奏やその他の彼女の盤ほどのエキセントリックな猛々しさは影を潜めており、どちらかというとモデレートな出来だ。
どれだけ純粋な穀物コストをしない
上原彩子の解釈は好き嫌いがはっきりすると思う。極端なまでのアゴーギク(ルバート)をセンセーショナルで上質のピアニズムと見るか、はたまたくどく厚ぼったい田舎のピアニズムと見るかだ。前者のファンには少々欲求不満気味に聞こえ、後者のアンチからは捨てたもんじゃないんじゃない? 的な広角的な評判を得るのではないだろうか?
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスのリードは質実剛健ながら巧みだ。そしてロンドン響の弦の響きは軽やかで美しいし、管楽器もまろび出るような芳醇な響きである。
ピアノは録音で用いられることが珍しいヤマハのCFⅢだ。スタインウェイではなくヤマハであると高らかに主張する「ヤマハらしい」音である。即ち275Hz(=真ん中のドの鍵盤)周辺から下の音が混変調歪みを伴った混濁を示すからだ。重く太い低音弦を楽しみたい人には最適だが、硬質で細身、濁りのない低音を楽しみたい人にはちょっと臭うピアノである。
グラスファイバーボックスを作成する方法
カップリングされている独奏版の展覧会の絵だが、オケが無いが故か、チャイコンとは比べものにならないくらい自由奔放に弾きまくっている。
ムソルグスキーの展覧会の絵は元々ピアノ独奏曲として書かれた作品だが、後にラヴェルがオーケストラ用に編曲したものが当たり、爆発的に有名になった。
個人的には独奏版に関してはリヒテルのライブ盤をLP時代から愛聴してきたが、それ以外にはELPがプログレ版、富田勲がシンセサイザー用に編曲した版が有名だ。
上原彩子のこの解釈はこれまた賛否が分かれる演奏だ。アゴーギク、デュナーミク共に多用した独特の荒々しい解釈で、とにかく各部の強め方、弱め方が極端である。速いパッセージは脱兎の如く全力で駆け抜け、緩いパッセージは旋律が掴めぬほどに遅いのだ。
MIMとは何か
展覧会の絵はムソルグスキーの友人だったハルトマンという建築家・芸術家が夭逝したのを悔やみ、死後に催された彼の作品展をムソルグスキー自身が見て歩くという設定で、10個の作品を取り上げて音で表現したものだ。これらの作品を渡り歩く途中にプロムナードという間奏曲、或いは前奏曲が挟まれており、連続した物語を作っている。
しかし、上原彩子の解釈では割と不連続な小品を敢えて脈絡なく並べたという格好だ。つまり曲間のプロムナードが「つなぎ」役を果たさないくらいに曲想がブツ切れなのである。
非常に前衛的な原曲版独奏だが、情感たっぷりの上原彩子の特長が凝縮されたこの一枚は手許にあって良いかも知れない。これから加齢に従いどの様に芸風が変化していくかも楽しみである。
(録音評)
EMIクラシックスの最近の録音は音質が良くなった。この盤の音質も実は素晴らしいものがある。楽器の一つ一つのフォーカスが鋭く、音像がシャキっと立つし音場が深く自然に奥へと展開する。この録音はチャイコンという華やかで甘美な曲を意識してか、明るめの空間に散りばめられるオケ、ピアノがそれぞれ絢爛豪華で宜しい。
展覧会の絵はチャイコンとはうって変わってリアルで大きめのピアノが出現する。腰を浮かして鍵盤を舐めるように、前後左右に上半身を動かして弾いている上原彩子の姿が目に浮かぶ。ピアノは、やはりヤマハのピアノそのものだ。音質は良好である。
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